一回のテーマは「執事」です。この作品のタイトルは『黒執事』。「黒」の部分はひとまず置いて、まず「執事」って何?というところから始めましょう。
かつて、貴族や地主や大金持ちが暮らしていた英国の大邸宅には、その優雅な生活を支えるために、数多くの「家事使用人(ドメスティック・サーヴァント)」が働いていました。サーヴァントとはいっても奴隷ではなく、少ないながらもお給料が支払われる、れっきとした雇用関係で、たいていの場合は住み込み・食事付き。飲み物や日用品は支給だったりそうでなかったり、いろいろでした。各種のメイドやボーイや庭師や料理人、世帯の規模が大きくなるほどに人数は増え、役職は細分化され、時代が移り変わるにつれて人員構成はどんどん変化していきます。『黒執事』の世界のモデルとなっているヴィクトリア時代後期の英国では、「執事」はだいたい、スタッフの中では一番か、二番めくらいには偉い、という位置づけの役職でした。
「執事」を英語で言うとバトラー。辞書によれば「酒の給仕係(カップ・ベアラー)」や「ボトル」に由来するとされ、また一説によると「パントリー」という部屋(元はパンを用意する部屋で、後に執事の作業室となる)を根城としていた「パントラー」の後釜であるとも言われています。また、バトラーだけではなく、旧来、使用人を統括する位置にいた「家令(スチュワード)」や、主人の身の回りの世話を担当する「従者(ヴァレット)」も、日本語で同じ「執事」という訳語があてられている場合があります。これらの仕事は、スタッフ不足や雇い主の判断から、ひとりのバトラーが兼任することも多く、われらが主人公セバスチャン・ミカエリスもそのパターンにあたります。スチュワードの仕事もヴァレットの仕事もひとりでこなしてしまいます。(しかも、それ以外のことも全部やっちゃうスーパー執事です。すごい!)
執事は、家内の使用人たちのトップに君臨して、特に男性スタッフ部門の任免・管理監督・指導育成を担当します。場合によっては邸宅のサイフを握って、必要品の仕入れと支払いなども担当します。いわば人事と経理の部署長を兼ねたような位置づけです。ちなみにこれらは本来、家令(スチュワード)の仕事とされていましたが、ファントムハイヴ家の家令タナカさん(プロモーションムービーでお茶を飲んでるおじいさん)は働かないので、当然セバスチャンがやっています。また、執事を補佐する部下として「従僕(フットマン)」が控えている家も多かったのですが、ファントムハイヴ家では雇っていません。
十年くらい前に実在した、とある執事経験者が、こんなことを言っています。
「従僕の身分だったころは笑いあえる仲間がいたけれど、執事に昇進したら、他のスタッフと距離をおいて、厳しく家内の秩序を守らなければならなかった。とても寂しく、性格的に合わない……」――この人は、せっかくトップの地位に昇進したのに、わざわざ従僕の身分にランクを落として転職し直しました。トップに立つ者ゆえの孤独。でもセバスチャンさんはそんなの全然気にしなさそうです。というか、そういう感情を持っているのかどうか疑問です。
さて、マネージメント業は置いておいて、それ以外にも執事の日常業務はいくつもありました。
まず、お酒のボトルは執事の語源になっているというくらいで、大事な仕事のひとつはワイン関係です。早起きしてワインセラーの環境を管理し、いつも上等なワインをキープし、御主人や客に飲み頃で出すためにデカンタし、ちょっと悪くなったものはひと手間かけて魔法のように澄ませたりもしました。グラスや容れ物も美しく保ち、晩餐会ではサーブもします。昔の使用人向け手引書を見ると、当時人気のあったワインの銘柄や特徴、管理法がギッチリと記されています。ワインと執事は切っても切れない間柄なのです。
ワインにまつわるガラス器の管理は執事の担当でしたが、銀の食器やナイフ、フォークなどの手入れもそうでした。部下を監督して(セバスチャンさんはひとりで)専用の薬剤を使って鏡のように磨きあげます。また、食卓のアレンジメントを監督し、「晩餐の支度が整いました!」と告げることも執事の行う儀礼のひとつです。主人から呼ばれれば、いつでもお茶やコーヒーを運びました。『黒執事』ではセバスチャンのサーブするお茶やお菓子の数々が、目にうれしい見どころのひとつとなるはずです。
ストの応対も執事の大切な職務でした。
玄関先で、ご主人に通してよい客か、玄関ホールで自分が応対するか、出入りの業者なら裏口から担当者のところに行ってもらうかなどを瞬時に判断します。熟練の技です。ご主人のところに案内したら、正しい名前と肩書きをアナウンスします。同じように、邸宅に届く手紙の分類も彼が行いました。ガードマンのような、秘書のような、漫画家に対する担当編集者のような(笑)、役割も演じます。
従者(ヴァレット)がいればその担当となるご主人の身の回りの世話も、いない場合は前述の通り執事(バトラー)が兼任します。これは朝起きてから夜ベッドに入るまで、主人の快適をひたすら追求するという、なかなか大変なお仕事です。きっちりアイロンをかけた服を、その時々の予定にあわせて事前に用意し、着せ替えを手伝います。貴重品を管理し、狩猟に行ったら銃の手入れや弾丸込めなども手伝います。旅行に際しては荷造り・荷ほどきやチケットの手配、時刻表の把握はもちろん、外国行きならその国の言葉も使えることが望ましいとされました。つまり、場合によってはご主人よりも語学に堪能で知性豊か、なんてことにもなりかねません。が、旧い身分制社会にはそう簡単に逆転現象は起きません。
ご主人様のシエルと執事セバスチャンの主従関係は、たいへん微妙で、この作品独特のとても面白いところです。二人きりになるとそうとう酷いドS発言が多発するのは『「黒」執事』ならでは。しかし、他人がそばにいる時や、日常のお仕事に関しては、忠実な執事像を保っています。二つの顔を持つセバスチャン、その落差がお楽しみなのです。
動いてしゃべるアニメ『黒執事』で、セバスチャンがどんな執事っぷりを見せるのか――。完成を楽しみにしたいと思います。
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